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桔梗、アイコン

桔梗信玄餅の歴史

創業明治22年「桔梗信玄餅」は、伝統とのれん
を守り続ける職人気質の誇りです。
どのように桔梗信玄餅が出来上がっていったのか、
そのルーツを辿ってみましょう。

歴史ページ1、背景

桔梗信玄餅の開発以前、山梨の土産といえば、
果実の桃やぶどう以外に
目立ったものはありませんでした。
しかし、生の果実やそれを使ったお菓子
というのは一年を通じて販売することができず、
非常に不便な状態だったのです。
昭和35年頃からは洋菓子ブームとなり、
県外の洋菓子専門店が進出し始めました。
これに対抗すべく
当時三代目であった故・中丸幸三を中心に
新製品の開発に懸命に取り組みました。
日本人の好みに合うものは何か
を出発点にして開発に取り掛かり、
そこから生まれたのが「桔梗信玄餅」でした。

歴史ページ2・3、背景

桔梗信玄餅の開発のヒントに
「安倍川餅(あべかわもち)」があります。
山梨県には古来よりお盆の時期に、
きな粉と黒蜜をかけた安倍川餅を備えて食べる
習慣があります。
これをヒントに現代風に小さくまとめ、
お盆だけでなく一年中食べられるもの
にしたのが「桔梗信玄餅」です。
当時、風呂敷で包むという形態は
全くない斬新なものでした。
昭和43年の正月、
最初の試作品ができ、
その夏販売に踏み込みました。
発売後はユニークな包装も話題となり、
お客様からの反応は好評でした。
添加物などを一切使用しないお餅の
なんともいえない素朴な味わいと、
黒蜜の独特な舌触りは
「桔梗信玄餅」ならではのものです。

安倍川餅、写真

幸運なことに、発売した翌年から
武田信玄と上杉謙信の戦いを描いた
NHK大河ドラマ「天と地」
(原作:海音寺塩五郎)が放送開始。
さらに「風林火山」(原作:井上靖)
も映画化され、
空前の武田信玄ブームになりました。
それ以降、山梨県にも優れた観光県だ
との認識が高まり、
日本中から観光客が訪れました。
その年の一年間、
山梨県は商業ベースに乗って
大変な観光ブームになりました。
こうしたマスメディアの力もあり、
桔梗信玄餅は山梨の銘菓として
定着していきました。
その後も売り上げは大幅に伸び続け、
発売時、日産5000個だったものが
6年後には日産5万個に。
今では日産12万個に達するほどになりました。

受賞歴、アイコン

平成15年1月、桔梗信玄餅は山梨県土産売り上
げNo.1であると報じられました。

受賞歴、線

第19回  山梨県工業展示知事賞 受賞
第5回   山梨県土産品コンクール 第一位
第5回   日本商工会議所会頭賞 受賞
第19回  全国菓子第博覧会名誉総裁賞 受賞
2012年 モンドセレクション金賞 受賞
2013年 モンドセレクション金賞 受賞
2014年 モンドセレクション金賞 受賞
2017年 JR東日本おみやげグランプリ お菓子部門
      金賞 受賞

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フッター、ロゴ

株式会社 桔梗屋
〒405-0077
山梨県笛吹市一宮坪井1928